西域とはだいたいトルキスタンを指し、時にはインド,西アジア,ヨーロッパまでを指すこともある。トルキスタンの国々はさらにパミール高原をはさんで東西に分けることができる。まず、東トルキスタン(現在の新疆ウイグル自治区)では、トルファン盆地(伊吾,高昌,車師前部,楼蘭など),ジュンガル盆地(車師後部など),タリム盆地(焉耆,亀茲,于?,莎車,疏勒など),イリ地域(烏孫)の国々があり、西トルキスタン(いわゆる中央アジア)では、ソグディアナ,トハリスタン(大宛,康居,大月氏,大夏,昭武九姓)の国々がある。
古代中国において玉門関,陽関が西の境界とされ、それよりも西方の国々が記録のうえに明確に現れたのは『史記』「大宛伝」が最初だが、ここには西域の語はみえない。『漢書』にいたって初めて西域の語が現れ、西方の国々のことを記した「西域伝」が作られる。この西域伝では西域の地理について「南北に大山あり、中央に川あり、東西六千余里、南北千余里」と述べているので、タリム盆地、すなわち東トルキスタンをさしていることが明らかである。しかし、『漢書』西域伝には東トルキスタンの国々ばかりでなく、西トルキスタン,インド,イランなどの国々についても記されている。その後、中国歴代の正史のいくつかは西域伝を載せているが、その地理的範囲はすべて『漢書』と同じである。